大文豪なんだと思う。彼って。
こんな軽い書き出しは、私ごとき人間が彼や彼の作品を云々すること自体が許されることではないと考えてのことです。
後期三部作というのですって。その第二作目。『行人』。
どう考えてもこの作品をどう紹介すればいいかわかりません。
「(こうじん)とルビるのよ。」(←「(こうじん)とよむのよ。」の意)としか。
・・・・・・って、普段、”わたし”だの”みみ”だの表記するところを”私”などとしてみました。
きっかけは、すっかり滞りがちなここの更新を
《ちょっとなんとかしてみようかしらん。》って考えたことに始まります。
そして。
《そうだ、結婚について考察してみよう。》って。思い付きです。単なる。
そうして。
現代人は、駄目ですね。無駄足ってものを極端に嫌がり、単簡に性急に解答だけを求めたりします。
・・・・・・検索中・・・・・・結婚に関する格言など。
Web上に漂うものが、どういう性質のものかという議論は置いておきましょうね。
そんな中、目に止まったのが、・・・・・・by 彼の人。だったのです。
凡そ100年昔の厳めしい美男。旧千円札の彼が、小説で登場人物に語らせたのか、随筆あるいは知人との書簡にて語ったのか、講義で語ったのか・・・・・・?
下戸・・・らしい彼が、酔っ払って言ったの?・・・・・・何? 下戸ですって? わたしとは付き合えないじゃん?
・・・・・・検索中・・・・・・その出典など。
《『行人』・・・ね。なんてルビるの?》
そうして。
現代人は、駄目ですね。無駄足ってものを極端に嫌がり、単簡に性急に解答だけを求めたりします。・・・・・・青空文庫行き。
わりと簡単なのね。ワードだかエクセルだかに移して検索をかけるとすぐに、目的のソコが見つかりますよね? だけど、冒頭から惹きつけられました。停車場にステーションって読み仮名がふってあるのが、
《Some kind of wonderful !》(←なんだかイイじゃん?・・・って感じ)
そういうわけで、兎に角これ以上の予備知識は入れずに読もうって思いました。『結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。』へ猛進するだけなんて勿体無いもの。
おせっかいだけど、解説を挟んでおきますね。そこの部分を殊更に「格言」として扱われるのは、作者にとって嬉しくないかも・・・って感じてしまったから。
物語の中心人物・・・といっても、最初の語り手である”自分”の兄・一郎・・・が、宅で給仕や子供の世話をしてくれているお貞さんに云う言葉の一部です。弟・二郎・・・つまり、”自分”が、結婚を間近に控えたお貞さんを面白半分にからかったところ、彼女は赤面します。耳まで赤く染めた彼女に一郎は、「結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だ」と聞かせるのです。そして、例の一文。後へ続くのは、「それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある。まあ用心が肝心だ」です。二郎が感じるように、お貞さんには意味が通じず、一郎は余計な話をしたと謝ります。
この小説には無駄なエピソードが全くなく、また作者と読者の頭脳・知能レベルまたは情報処理能力の差異によって生じる誤解、つまり読者が感じ易い冗長さが見られないと思います。この場面は、二郎にとっては兄の結婚観を垣間見るに重要な下りであり、終盤の読者にとって全く合点の材料、種明かしの種の一つではないでしょうか。
さて。肝心の『行人』。全体をどう読むか?
やはり、私ごとき人間が彼や彼の作品を云々すること自体が許されることではない・・・です。
ただ、読み終えて、新聞の連載だったとか、作者の病気療養のため長期にわたり休載されたことを知り、待たされた読者はさぞかし辛かったでしょうに・・・と考えると、こうやって思い立ったらすぐに読めることを本当に嬉しく思いました。
恋愛小説としても傑出した作品です。
ので。
機会があれば、恋愛指南書としての読み方も紹介していきましょうね。・・・・・・怒られちゃうかもしれないけど。